倫理観ちゃんのブログ

最高の人生にする

幸福論

「幸せの形は人それぞれです」

「自分の幸せを追求しましょう」

そんな言葉が散見されるから、あたしはあたしの幸せの形を探せばいいと思っていた。好きな人があたしだけの彼氏じゃなくても、あたしの家に来て抱きしめてくれて、可愛いって言いながらキスしてくれたらそれでいいなんて思っていた。けれど、世の中的にそれは幸せの正解ではなくて、世の中の人の言う幸せとは、いつの時代だって正統派、決まりきっているのだと痛感した。

友達の結婚式に出た。職場の人の紹介で知り合って付き合って結婚。あまりにも幸せの正解だった。友達に祝福されて、両親に感謝を述べて、好きな人と結ばれる友達がとても綺麗で、あたしは泣いた。久しぶりに会った中学の同級生に、「彼氏いるの?」と聞かれて現状を誤魔化して答える自分がいた。言えないのは、世間一般的にそれが幸せの正解ではないからだ。悲劇のヒロインぶりたくない。この道を選んでいるのは自分だし、同情されたいわけではない。ただあたしは、世の中の当たり前の幸福を望む一般人なので、いつか友達のように純粋に祝福されたいと願って泣いているのだ。